このタイトルは、私の大好きなアドラー心理学からの引用である。
アドラー心理学を学んだのはつい最近のことであり、大ベストセラー書籍の「嫌われる勇気」がきっかけである。
自慢っぽくなるが、この本を読んだ後、私は若かりし頃から無意識のうちに権力争いから身を引く術を知っていたということに気が付いた。
アドラーが言っていることの一つに、「権力争いに巻き込まれないようにする」というものがある。
人間同士が社会生活を営む中で、権力争いに巻き込まれる場面は多々ある。
- ケンカをふっかけられたとき
- 意見を意味なく反論されたとき
- 普段から敵対視されているとき
これらはいずれも、「相手をなんとかして屈服させたい」という、極めて利己的な感情に基づいている。
世間的に勘違いされているのは、
「意見を言わずに黙っていると、自信がないように思われたり相手の主張を認めていると勘違いされて、余計になめられる」
と心配することだ。
大切なことは、
「他人からどのように思われ蔑まれようとも、自分の信念に従って行動する。」
ということである。
確固たる自分の信念を持ち、その信念に従って行動していれば、たとえ誰かから責められたり貶されたりして黙っていたとしても、自分が惨めな気持ちになることはない。
映画「永遠のゼロ」の主人公が、空軍の同僚から臆病者と蔑まれようが、最後まで自分の信念を貫いたように、
目次
「権力争いを避けた」過去の体験談
概念的なことばかり述べても、いまいち何を言っているのか想像できないと思う。
そこで、私の高校生時代の行動を挙げようと思う。
高校生の時の私は、周りから”浮いた”存在だった。
中堅レベルの高校だったのだが、全体的にあまり勉強する雰囲気はなく、私はその雰囲気に飲まれるのが大嫌いだった。
私は、そういった勉強しないクラスメイトからは一定の距離を置いていた。
そのため、クラスメイトは男女問わず、よく私の陰口を叩いていた。
「あいつは人と同調しない」
「キモイ」
「顔を見ただけでイライラする」
などである。
当時のクラスメイトからしてみれば、
「あいつはキモイし腹が立つから、悪口を言いまくって屈服させてやる」
といった、一種の権力争いを挑んでいたのだろう。
だが、当時の私は確固たる信念を持っていた。
その信念とは、
「俺はクラスのやつらとは違うようになってやる。今に見ていろ。」
という、捻くれた”負の感情”だった。
もし周りと仲良くやっていると、志望する大学には絶対に合格できないと本能的にわかっていたのだろう。
周りの誰からも影響されず、自分の志望する大学に必ず合格すると信じて、ただひたすらに受験勉強をしていた。
そして大学受験の結果は、潜在意識の記事で述べた通りである。
権力争いに巻き込まれないようにする方法
こういった権力争いに巻き込まれそうな時の最適解はただひとつ。
その解とは、
「相手にしない」
である。
もし相手にして相手と同じ土俵に立った時点で、相手の思うツボとなってしまう。
自分の願いを叶えるためには、自分に悪影響を及ぼすような人達に同調せず身を引き、冒頭の本の言葉の通り、”嫌われる勇気”を持つ必要がある。
もし当時の私がクラスメイトの誰かからの悪口に激高して相手を殴ったりでもしていたら、これこそ相手の思うつぼだっただろう。
そんなことをすれば、夢も叶わなかったはずだ。
たとえ相手を屈服させたとしても、それは回り回って必ず自分に跳ね返ってくる。
「スルースキル」を身に付けることが、結果として自分の望む人生を送れる。
これをオナ禁に応用するなら、もしオナ禁をバカにするような人が周りにいるとすれば、もしオナ禁を続けたいと思うならその人とは付き合わないほうがいいだろう。
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