~コラム~ オナ禁しなくても人間は自然と成長する?その2

オナ禁最大限その1の続き)

私の後輩(既婚者・子供あり)で、毎年同じことの繰り返し仕事のルーティンワークが嫌でこうつぶやいていた人がいた。

「人生一度きりだから、色々なことに挑戦してみたい」

彼がオナ禁者だったかは正確にはわからないが、これを聞いた私は、「安定を捨てて成長を求める」とはこういうことだろうと思った。

 

また、成長を捨て安定を求める最たる例がある。

それは、「自己保身」である。

 

たとえば、自分の属する会社や組織が

「法律や道徳に照らしておかしいとわかっていながらも、会社や組織から処分をくらいのが怖いので、見て見ぬフリをする」

ということが起こったとしよう。

 

セクハラ、パワハラ、社内いじめ、開示決算書類の粉飾行為、国の定めた法律や規定からの違反行為、などである。

社会人として生活していく上で、往々にしてこういった場面に遭遇する。

たとえ大企業であっても、こういったことが起きないとは限らない。

「自分のいるところはしっかりしているから関係ない」という話ではない(そう楽観的に思っている組織ほど問題を起こしたりすることが多いから、皮肉なものである)

 

自分の勤める会社や組織が、何か法律や道徳に違反するような事を行っていたとする。

そういった時、安定を求める人の思考は、次のようになる。

  • 「従来と同じやり方でやっている」
  • 「前任と同じようにやっていて、今まで国や行政から何も問題が指摘されていない」
  • 「いつもと違うことをしたり提案したりして、周りから叩かれたり否定されたりするのが怖い」
  • 「本人は嫌がっていないはず」
  • 「問題を指摘して遠方の子会社に飛ばされたり人事的な制裁を受けるのはイヤだ」

 

このように、もめ事になることを避ける、いわゆる「事なかれ主義」である。

そして将来的に問題が発覚した時、「自分は悪くない」といった自己弁護に必死となる。

これが、「問題の先送り」である。

 

もしも入社したて家庭を持たない新人ホヤホヤのやる気満々なフレッシュマンであれば、こういった問題があれば指摘する人もいるだろう。

「若気の至り」という言葉があり、この言葉は悪い意味でも使われること多いが、良い意味もある。

若いうちはもし失敗したとしてもいくらでもやり直しがきくことが多いので(犯罪さえ侵さなければ)、リスクを恐れずに何でもチャレンジすることができるという意味がある。

 

リスクを冒すことは、何も悪い事ばかりではない。

逆にリスクのない場所にいると、成長することもない。

 

オナ禁は、「成長する機会をつかむ」「声を上げる」ということの手助けとなる。

もしそれで左遷されたりクビになるような会社や組織であれば、所詮はその程度の組織ということだろう。

いずれ世間を騒がせるかもしれない、

 

 

言うまでもないが、オナニーばかりしているとやる気と精力を失って退化する。

退化すると、「今まで通りでなければ怖い」と思うようになり、安定を求め、安定を脅かすような変化を自然と避けるようになる。

そして、何か問題が起きた時、その人はこういうだろう。

「俺は悪くない。悪いのは業務を直接担当した部下だ。」

このような”大人”は、「若気の至り」の気持ちを持ち希望に満ち溢れた若い人たちから支持されない事は明白である。

 

冒頭の命題に戻ろう。

「オナ禁なんかしなくたって、大人になって色々と経験を重ねていけば、人は自然と成長するか?」

答えはNoだ。

我が身可愛さに安定を求め、成長しない大人は腐るほどいる。

日常生活を送っているだけで誰でも自然と成長できるのなら、誰も苦労してオナ禁したりしない。

自分に足りないものを見つけ、それらを改善する努力をすることで、人は成長する。

その手助けとなる手段の一つが、他ならぬオナ禁である。

 

 

 

 

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