物事を継続させる方法~「偽りの高揚感」の否定~

限界疲労何事も、物事を始める一番最初の”初日”は、やる気に満ち溢れる。

新しい物事を始めることで、変わることのできた将来の自分が見えるような気になって、気分が高揚するからである。

ところが物事を始めてしばらくすると、目新しい出来事はなくなり、物事を行うのに徐々に嫌気がさしてくる。




わかり易い例で説明しよう。

例えば、何か勉強したり記録を付けようと思い、真新しいノートを買ったとしよう。

そこで誰もが皆がやることは、「ノートの1ページ目をとても綺麗な文字で丁寧に書く」ということである。

誰しも、何か新しい勉強を始める時は、とても綺麗な文字で参考書やノートに書き込みをすることだろう。

ところが2日目になると、前日と同じことの繰り返しで何も代わり映えはしない。

そして3日目には、もはや刺激もないためノートを開くことすらしなくなる。

これは3日で勉強や記録を付けることに飽きたという極端な例だが、上記の2日目や3日目は1週間・1ヵ月と置き換えれば、誰しも同じことが言えるはずである。

 

私は「初日に綺麗に文字を書く行為」を勝手に「初日の罠」と呼んでいる。

私は、過去の物事を続けられなかった自分の経験から、この初日の罠に一つ工夫を加えている。

それは、物事の初日を適当に、雑にやることである。

具体的には、ノートの1ページ目を敢えて半分破ってみるか、またはとても読めないような書きなぐりの文字を書くようにしている。

こうすることで、物事を始めた時に感じる「偽りの高揚感」を忘れることができる。

「最初が肝心」とは有名なコトワザであり、この言葉と適当に雑にやることとは矛盾するようにみえる。

「最初だから綺麗に使いたい」という気持ちはよくわかる。

だがここに落とし穴があり、もし勉強を続けるうえで仕事が忙しかったりで途切れがちになり、綺麗に文字が書けなくなると、その瞬間、途端に続けることがイヤになってしまう(完璧主義であればあるほど、この傾向は強くなる)。

そして勉強自体をやめてしまう。

 

 

最初から綺麗に始めるから、途中で綺麗にできなくなった時に嫌になるのだ。

であれば、逆転の発想で、最初からこれ以上汚くならないというほどに汚くやればいい。

最初は低く、徐々に高く。

これが、私の個人的な物事を継続させるためのコツである。

 

「最初が肝心」という言葉について、私にとって最初の「肝心」とは丁寧やることではなく、雑にやるという意味で捉えている。

ノートなどは汚してなんぼだと思っているので、それらが汚くなることが嫌で続けられなくなるというのは手段と目的のはき違えであり、本末転倒だと考えている。

大切なこと(目的)は、物事の継続を通じて自分自身が成長することにあり、決して綺麗なノートを作ることが目的ではない。ノートは目的達成のための単なる手段だ。

「綺麗なノートを作ることで物事の継続のモチベーションが上がる」という人もいると思うので一概にこの方法が適用できるとは限らないが、「偽りの高揚感」を忘れる方法としてはとても有効だと考えている。

 

 



 

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