~コラム~ オナ禁は完全に自分との闘い

成功と失敗昔見ていたオナ禁のブログで、否定的なコメント書き込みを「オナ猿からの書き込み」としてブログ内で晒して紹介しているのを見たことがある。

これは「オナ禁している自分は他の人よりも優位に立ちたい」という意識があるのだろう。

もしくは、自分の考えが誰かから否定されたことに対して、”なめられたくない”という「反応」の結果だろう。

 




 

言われたら言い返す、殴られたら殴り返す - 中高生の不良の世界では挑発されたら乗る(売られたケンカは買う)ことが正義(=強者の証)になるのかもしれない。

だが、これはオナ禁者が目指すような立派な大人がすることではないと感じる。

この”なめられたくない”という意識は、オナ禁を含む自己改善を進める上では邪魔にしかならない。

オナ禁を含む自己改善は、他人との闘いではなく自分との闘いである。

辛いオナ禁をどれだけ継続しても、誰からも褒められることはない。

褒めるのは自分だけである。

 

他人がオナ猿だろう何だろうと、自分の人生とは何の関係もないはずである。

その他の誰かを「オナ猿だ」と上から目線で貶めるのは、「オナ禁が他人との戦いになっている」という証拠である。

他人と戦っても、自己改善の効果は期待できない。

本当に戦うべき相手はオナニーに逃げ込んでいた過去の冴えない自分であり、過去の自分よりも今の自分が少しでも成長しているのならば、それで良いのではないかと思う。

もし他の誰かから否定されたり批難されたとしても、「反応」せずにスルーして受け流すことができるようになれたならば、それを「成長」と呼べるのだろう。

 



 

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