オナニーフリーになるコツ:自分に”圧倒的な”自信を持つ

「自分に自信を持て。」

いつでもどこでも耳にしたり目にするような、とってもありふれた言葉だ・・・

ありふれているということは、自分に自信が持てない人があまりに多いからだろう。

だが、自分に自信を持つということと、強気になって他人を見下したり自慢をしたり傲慢になるということとは、全く違う。



自分に自信のない人ほど他人の悪口を言う

自分の自信のない人ほど、他人の悪口を言う傾向がある。

これは、自分に自信を持っていないので、他人を批判し見下すことでしか、自分のことを認められないということだ。

 

他人の悪口を言ったり他人のあら探しをするのには、こういう2段論法の構図がある。

1.自分に自信を持っていない

2.だから誰かの悪口や欠点を言って見下すことで、少しでも他の人より上の立場に立とうとしている

 

オナ禁バージョンがこれだ。

1.オナ禁を続けられているものの、まだまだ自分に自信が持てていない。いつリセットするかもわからない。

2.だからオナ猿の悪口を言って見下すことで、少しでも人より上の立場に立とうとしている(=オナ禁している自分はオナ猿なんかよりも偉い)

 

オナ禁をして間もない頃は、オナ禁できない人を見下す場面が増えてくる。

私もオナ禁初期の頃はそうだった。

これは罠である。

ちょっとばかしオナ禁ができているからと言って、単に傲慢になっているだけ。

オナ禁できない他の誰かの悪口を言っている間は、まだまだオナ禁に成功しているとは言えない。

 

もし自分に”圧倒的な”自信があるのならば、他の人が何をしようと気にならないし、そもそも気にも留めない。

ドラゴンボールで喩えるならば、全宇宙の圧倒的王者であるフリーザ様が、一地球人のヤムチャの行動や言動をいちいち相手にするだろうか?いや、しないだろう(反語)

(出典:ドラゴンボール ナメック星編)

 

ドラゴンボールの話はかなり極端な例ではあるが。

私が過去に記した、”オナニー依存症Mさん”も、突き詰めると「他人の悪口」だ。

 

この記事は、私が過去に一緒に仕事をした、オナニー依存症と思われるMさんの悪口をいった記事だ。

過去の私は、オナ禁を継続している時であっても、他の人の悪口を言うほど未熟だった。

この記事は、そんな過去の自分を戒めているものだ。

 

「出る杭は打たれる」が・・・

よく言われることわざで、

「出る杭は打たれる。」

というものがある。

 

だけどこのことわざの皮肉を言えば、

「出すぎた杭は(高すぎて)打たれない。」

 

他の人のあら探しや悪口を言っているヒマがあるならば、その時間を使って、自分をさらに高めるべきだろう。

打たれない域に達するまで。

 

オナニーフリーの状態になり自分に自信を持っていれば、他の誰かがオナ猿かどうかは気にならなくなる。

もし仮にその人がオナ猿であったとしても、できる人はできるし、すごい人はすごい。

そもそも社会的立場の高い人は、「この人は禁欲ができるかどうか」といった短絡的なことだけで人を判断したりはしない。

単に禁欲しただけで王様になれると思ったら、それは大きな間違いだ。

誰かの悪口を言うことは、自分を下げる結果になる。

 

社会的立場の高い人は、他人の悪口を言わず、その人の持つ良いところに焦点を当てる。

そしてそれを引き出す。

「どんな人からも、学ぶべき点はある」

これがオナニーフリーの境地だとつくづく感じる。

・・・思い出した。

そういや、Mさんには良いところが一つもなかったな・・・(←他人の悪口)

 




オナニーフリーになるコツ:自分に”圧倒的な”自信を持つ」への4件のフィードバック

  1. 久しぶりのフリーザ様の絵に懐かしくなってしまいました(笑) やっぱり鳥山明先生の画力はずば抜けてますね。プロの漫画家が認める画力の高い漫画家アンケート一位に選ばれただけのことはあります。

    ところで、僕は「悪口=自分のコンプレックス」だと思っています。例えば「あいつはバカだw」というひとは自分が賢くないことを気にしているか、社会で活躍出来ない自分のことを恥ずかしく思っているので、他人をけなして無意識に安心しているのだと思います。その証拠に、悪口を言ったりネットに書き込んだ瞬間というのは、どこかほっとするからです。これは、自分の弱点(コンプレックス)を隠せたことと、自分を優れた人間だと他の人間に印象づけられたと思うことから生じる束の間の安心だと思います。さおけんさんの言葉を借りれば、これもインスタント快楽ですね。
    本当に立派な人が決して悪口を言ったり、じまんをしないのも、人間が出来ているということと同時に自分を大きく見せかける必要がないからだと僕は思います。オナ禁と自己研鑽を続けていつかは僕もそのような境地になりたいものです(笑)
    またまた長文失礼。寝る前にこのブログを拝見させていただくのが最近の楽しみです。

    PS 鳥山明先生も謙虚な人柄で有名らしいです。やはり本当に偉大なひとというのはそういうものなんでしょうね。

    1. >山崎さん
      ご無沙汰しております。
      ブログを楽しみにしてくださり、ありがとうございます。

      ドラゴンボールは私の青春ですね。
      鳥山明先生がデザインされているドラクエもよくやりました。
      あとは、バスタードの萩原一至先生も画力がずば抜けていて好きです(少年漫画にしてはエロ描写が多いですが。。)

      悪口に関する見解は、山崎さんがまさにおっしゃっている通りで、反論の余地はまったくありません。
      私の考えですと、悪口を言う人は余裕がないのだと思っています。
      もしも圧倒的な余裕を持っていれば、誰かを批判しても良いことがないと知っているからです。
      悪口を言わなきゃやっていられないほど、自分が追い込まれているのだと思います。
      これも山崎さんのご指摘されている、インスタント快楽を得たいがための行動ですね。

      ちなみに、今の私はフリーザ様ほどの圧倒的余裕を持っていません。
      仕事をしている時もブログを書いている時も、自分を大きく見せたいと感じることもあります。
      実は私も仕事上でまだまだ誰かの悪口を言いそうになることがありますので、その度に自分を戒めています。
      私もまだまだ学習が必要だと感じています。

  2. 悪口をまったく言わないほどの自信は、残念ながらまだ僕も身につけられていません。これも一歩ずつ自分を成長させていくしかないんでしょうね。ただ、僕は自分を成長させることそのものが好きなので、焦らずに努力していこうと思っています。人生は本当に修行ですね(笑)
    自分を大きく見せたくなるのは、ある意味で仕方ないことかもしれませんね。特に情報を発信する側になると、ついつい内弁慶的になってしまいがちです。僕は昔ラジオが好きでしたが、長く番組をやっている人ほど内弁慶気味でした。(特に深夜放送のパーソナリティーは)
    これもまた、少しずつ改めていくしかないんでしょうね。

    PS 僕もバスタード好きでしたよ! ただ、あの内容は小学生には刺激が強すぎました(笑)

    1. >山崎さん
      「誰かの悪口は蜜の味」と言われますね。
      この蜜の甘さに群がる人は多いです、私も含めて。

      ラジオパーソナリティーが内弁慶気味というのは、私も一応ブログという情報の発信者の端くれとして、何となく頷けます。
      ただ、ラジオだとブログと違って大きな声ではっきりと流暢に話さなければなりませんので、その努力は称賛に値します。

      ただ、悪口をまったく言わない人は慕われますが、無理して悪口をガマンしても「何を偽善ぶってるのか」と思われたりします。
      このバランスは本当に難しいですね。
      オナニーフリーと同じで、「誰かの悪口?なにそれ美味しいの?」と、悪口を言わないことが普通に思えるくらいになりたいです。

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