自分より下を見て安心しているうちは成長できない

「オナ禁最高!オナ猿はなんでオナ禁やんないの?」

オナ禁ブログではこのような記事であふれかえっているが、これは明らかに見下しの視点だと感じる。

私の主張は一貫して、「たとえオナ猿だろうが、すごい人はすごい」である。

なぜなら、私の好きなミュージシャンは自身の自慰習慣を公言しており、その影響は外見にも多少表れているが(失礼)、それでも人を感動させる音楽を作り続けているからだ。




下を見る=安心する

そもそも、自分より下だと思っている立場の人を吊るし上げても、自分が成長することはない。

それでも誰かを見下してしまうのはなぜか?

 

それは、安心するからである。

「自分は少なくとも他の人より上だ。」

この気持ちが自分を心を落ち着かせ、安心させてくれる。

一種の麻薬だ。

だがこの安心感が、同時に、自分の成長を停止させてしまう。

 

下に見るということは今の自分に自信がないということ

もし自分に自信があるならば、下を見て安心するのではなく、さらなる上を目指すはずである。

自分に自信がないからこそ、下を見ることで、つかの間の安心を得たいと考えている。

 

オナ禁の継続ができているブロガーが、オナ猿やガリガリまたはデブの人を見下した記事を書きたがるのも、自分を安心させたいがための行動である。

だが、他者を見下して安心している状態では、自分が成長することはない。

 

どんな世界にも、上には上がいる。

少しでも自分を高みに上げるためには、すでに自分よりも高みにいる人から学ばなければならない。

 

このブログの立ち位置?

去年のいつだったか、

「お前の言ってることがオナ禁の何に役立ったんだ?見下すな。」

といった類のメッセージをいただいたことがある。

 

私は幸いなことにオナニー習慣から長いこと解放されているが、オナ禁に苦しむ方々を自分より下だとは全く思わない。

苦しむ方々が直面しているのは、過去の自分が通ってきた道だからだ。

下に見るということは、過去の自分をも否定するということと同じことになる。

私は、過去の自分を否定したくない。

過去の自分があってこそ、今の自分がいる。

 

そして、誰かを見下したり驕りの気持ちを持ったりで少しでも気を緩めると、カンタンに過去の自分に戻ってしまうということも理解している。

それほど、性欲の力は強烈である。

性欲は、いとも簡単に人を飲み込んでしまう魔物だ。

飲み込まれてしまうと、貴重なチャンスを失ってしまう。

 

だからこそ、オナ禁に苦しむ方々(=過去の自分、または将来にまた落ちてしまうかもしれない自分)に向け、自分の体験談のメッセージを送り続けることで、初心を忘れないようにしたい。

そのメッセージが訪問者にとって良きアドバイスとなったのならば、ウィンウィンの関係と言えるだろう。

 




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