困難がなければ、充実もなし

「さおけんさんのオナニーから解放された生活はラクでいいですね。」

ブログの読者の方からこのようなメッセージをいただいたので、なんとも返事に困った。

たしかにオナ禁に苦しむ方から見たら、このブログに書いているような今の私の状態が”楽(ラク)”に見えるのも、無理はないとは思うが・・




オナニーフリーとは脆く儚い

だけど、それは長い年月をかけ、試行錯誤と苦労に苦労を重ねたことで手に入れたものである。

さらに、やっと手に入れたと思っていても、少しでも気を抜くとカンタンに失ってしまうという、とても脆く儚いものでもある。

「もう昔みたいにオナ禁に苦しむことなんて無いぜひゃっほーい!」

・・・なんて思ったことは、残念ながら私は一度もない。

オナニーフリーとリセットとは、実は隣り合わせで、その壁は低く薄い。

今の私のこの状態が、メッセージをいただいた質問者の方が思うような、”ラク”なのだろうか?

 

 

さらに、欲望は何も性欲だけではない。

お腹も減るし、物も欲しいし、仕事中に眠くもなる。

さらには仕事をサボりたくなるときもあるし、誰かを怒りたくなる時もある。

決してラクではないと思う。

だが、充実はしていると思う。

このブログの執筆を通じて、性欲も含む様々な欲望と向き合うようになっているからだろう。

 

苦労して「本当の喜び」を見つける

私が思うのは、「本当の喜び」というものは、苦労の後にしか手に入らないもの

苦労しないで手に入るもの、たとえばそこらへんにいくらでも転がっている石ころには、たいした価値はない。

ダイヤモンドのような手に入れるのが大変で希少のような物にこそ、価値がある。

 

だから、もしカンタンにオナ禁ができたとすれば、そのオナ禁に価値はなく、効果も限られているのだろうと思う。

繰り返しになるが、手に入れるのが苦しいからこそ、その苦労の後に手に入れられるものに価値がある。

 

たとえば、動物園にいる動物というのは、飼育員から定期的にエサを与えられて、体調が悪ければ獣医に診てもらい、安全に守られた園内で天敵もおらず、寝る場所にも困らない。

言ってみれば、動物園の動物というのは、

生きのびるのに苦労をしない

この状態というのは、動物にとってみると、本当に幸せなのだろうか?

野生の中で、命の危険にさらされながらも生きのびるために必死で狩りをするというのが、動物にとって「本当の喜び」を感じる時なのかもしれない。

 

人間に当てはめると、例えば中年のパラサイトシングルのような、いつまでも親に寄生して家賃も食費も寝床も苦労しないような生活を送っていたら、「本当の喜び」を感じ辛くなる。

苦労のない安心感が、充実感という感覚をマヒさせる。

安全な親元を離れて、いつお金が無くなって死ぬかわからないと思い、必死になって試行錯誤して苦労をしている時のほうが、本当の意味での幸せを感じられるはず。

 

オナ禁の話に戻るが、こうやって考えてみると、オナ禁で苦労することは、実は幸せな事ではないだろうか。

苦労して欲を我慢したその先には、価値のあるもの(=充実感)が待っているのだから。

 




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