オナ禁是非の論争は無意味

海外のオナ禁サイト上において、

「オナ禁派 vs オナニー肯定派」

こう分かれて議論されているのをよく見た。

このブログはというと、”自慰行為の呪縛から逃れるための記事”を書いているため、オナ禁派の根拠となる話を書いていることになる。

だが矛盾しているかもしれないが、私はオナ禁派の肩を持つつもりは一切ない。

私は、この議論をすること自体が無意味なことだと思っている。



「オナ禁派」と「オナニー肯定派」のそれぞれの主張

まずは、それぞれの主張の根拠を考えてみようと思う。

 

オナ禁派は、次のようにオナ禁による効果を主張し、オナニー肯定派を否定する。

  • 「オナ禁のおかげで肌が綺麗になった」
  • 「オナ禁のおかげで目覚めが良くなった」
  • 「オナ禁のおかげで集中力が増した」
  • 「オナ禁のおかげでモテるようになった」

そして逆にオナニー肯定派は、次のようにオナ禁派の意見を否定する。

  • 「オナ禁したら精力がなくなって逆に集中力が落ちる」
  • 「オナ禁したら性欲がなくなってインポになる」
  • 「オナ禁したら女に興味なくなってゲイになる」
  • 「オナ禁したって全然モテない。モテるわけがない。」

 

この議論は、完全に平行線。

両者は決して交わることはない。

 

この議論のひとつの解決法としては、「自慰行為による害の有無」について、医学界が大々的に発表することだろう。

客観的な実験と研究結果に基づいて。

だが、アダルトな話題をタブー視する日本では、それも見込めそうもない。

 

いくら議論しても答えのない平行線なら、議論しても意味なんてないことになる。

 

オナ禁論争に関する私個人の意見

この論争に関する私の意見は、こうだ。

オナ禁を試してみて、オナ禁派が主張するような効果を感じるようであればそのままオナ禁を続ければいい。

あまりオナ禁効果を感じないでデメリットばかり感じるのであれば、オナ禁をやめればいい。

 

つまり、オナ禁の効果には個人差がある。

ただそれだけのこと。

 

ただし、「自分の意見が絶対に合っていると信じて疑わず、その意見を相手に押し付ける」という行為は、自己満足で利己主義的なオナニー行為となんら変わらないということだ。

「狂信的なオナ禁派」というものは、オナ禁者が相手に意見を押し付けるといったオナニー行為をするという、なんとも言えぬ矛盾。

それは、もはやオナ禁者とは呼べない。

オナ禁するかしないかは、完全に人の勝手である。

言うなれば、それは他人の人生。

他人の人生にとやかく口を出すべきではない。

すべては自己責任なのだから。

 

ちなみに、私の個人的な体験談としては、

「自慰行為のし過ぎは、身体的にも精神的にもかなりの有害」

ということだけは強く主張したい。

過去の私は、これで人生を棒に振りそうになった。

 

意味のない論争をしている時間があるのなら、その時間を自己改善の時間にあてたほうが良いだろう。

 




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