(日記)禁欲を続ける目的

今の私が禁欲を続けるのは、女にモテたいとかいった短絡的なものではない。

もちろん、オナ禁を知った最初の頃はそうだった。

冴えない自分と決別したかった。

今禁欲をする理由は、ただ、単純に、毎日を、つまり人生を楽しく過ごしたいからである。




オナ猿時代の自分

よく自分で自分を慰めていた頃(10代~20代半ば)は、なんだかあらゆることに冷めていたように思う。

それなりに将来のことを考えて勉強したりはしていたが、何をしても、なんだか楽しく感じなかった。

たとえば出張で飛行機に乗ったときに、

「まあここで飛行機が落ちて死んでもいいかな」

とか思っていた時期もあった。

おそらく、人生を諦めていたのだと思う。

 

思えば、「自分で自分を慰める」ということは、

  • 「ヒマだ」
  • 「女に相手にされない」
  • 「だから自分で気持ちよくなって誤魔化そう」

きっとこういった気持ちがあったのだろう。

だが、いくら自分で自分を慰めたところで、「人生がつまらなく感じる」という問題が根本的に解決するはずもない。

それどころが、やればやるほどどんどん深みに嵌っていく。

 

オナ禁による気持ちの変化

そんな人生を諦めていた私が、20代も半ばを過ぎた頃、オナ禁に出会った。

最初は女の子にモテたいと思って始めたオナ禁だったが、驚くべき効果があった。

人生が楽しく感じるようになったのである。

オナ禁後は、今までのセピア色(灰色)だった世界に、様々なカラフルな色が付いて見えるようになった。

毎日が楽しくてしょうがない

こう思うことができれば、時間が経つのがとても速く感じる。

私がもう歳を取ってきたからという理由もあるかもしれないが、今はとにかく時間が惜しい。

オナ猿時代によく「ヒマだ~」と思っていたことが、もはや遠い昔のことのように感じる。

(出典:ドラえもん「タイムライト」)

 

オナ禁マラソンは不要

私は、オナ禁は他の誰かと競うような、”ガマン大会”ではないと思う。

イライラしてストレスが溜まるくらいに無理をして性欲をガマンするくらいなら、定期的なオナ減でイライラしていた時間を他のことに集中させた方が、もっと有意義な人生が送れるだろうと思う。

だからこそ、「オナ禁の継続日数を指折り数えてはネットで発表する」という行動は、あまり意味のないことだと思っている。

(この詳細については、下記のような記事にしている)

 

 

私の場合、オナ禁も含む禁欲に関して、「無理してガマンをする」という概念は完全になくなった。

長い間、禁欲の概念そのものを勉強して色々なことに試行錯誤をしていたら、気が付けば、禁欲は自転車を乗ることと同じくらいに簡単なことになっていた。

誰でも、子どもの頃、自転車に乗る練習をして、転んで擦りむいて傷だらけ血だらけの膝をして泣いていたという経験があるだろう。

それでもめげずに、何度も何度も繰り返し自転車に乗る練習して、自転車に乗るコツを覚えて乗れるようになってくると、もはや簡単に転ぶことはなくなってくる。

私にとってオナニーフリーという状況は、こういった自転車に乗ることと全く同じ感覚だ。

 

もちろん、自転車に乗る際はバランスを取らなければ転んでしまうのと全く同じように、禁欲も常に湧き上がる性欲とのバランスを取り続けなければリセットしてしまうだろう。

 

オナニーフリー = 自転車に乗ってバランスを取ること

 

もっとも、必死になって漕ぎ続けていなければ転んでしまうといったような”自転車操業”(=ガマン大会)は、オナニーフリーの望む姿ではない。

あくまで、苦労なく、ラクに、バランスを取りながら続けられるということ・・・これが望ましい姿。

そのためには、自転車で転んでも何度も乗る練習をするのと同じで、小さなことでもただひたすらに積み重ね続けるだけ




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(日記)禁欲を続ける目的」への6件のフィードバック

  1. 初めまして。いつもサイトを拝見しております。
    記事が更新される度に、まるで自分の気づいていない事や忘れていた習慣を言語化して教えてくれているような感覚で読ませて頂いています。

    自分も禁欲について知らず、性欲に浸かっていた時期は「別にいま車に轢かれて死んでも構わないや」とか本気で考えていました。きっと自分の人生を無意識的に諦めていたんだと思います。対して現在は禁欲を知り、自慰の頻度を減らすことで活動的…より具体的に言うなら「本能に流されない生活を送れるように」なり、ある目標の為に日々少しずつですが行動できるようになってきました。
    いつか、さおけんさんのように自慰に振り回されない、所謂フリーの状態での生活を送れたらと思っています。

    駄文&長文失礼しました。

    1. >ギュスさん
      はじめまして、さおけんです。
      いつもブログを読みに来ていただき、またお褒めの言葉をいただきましてありがとうございます。

      私もギュスさんと同じような経験がありますが、デスウィッシュは、間接的であっても本当に怖いと思います。
      今思えば、「何で過去の自分はそんなバカなことを考えていたのだろう」という気持ちでいっぱいです。
      特に、東日本大震災後はその気持ちが強くなりました。
      生きたいと思っていたのに不幸にも生きられなかった人達に失礼だという思いです。

      私の場合は、本能や欲望に流されるままでいると、生きる希望が徐々に無くなってくるということがわかりました。
      綺麗事に聞こえるかもしれませんが、何かの目標に向かってひたする努力をするという事が、”生きる希望”というものを与えてくれたと思っています。

  2. 今回の記事の言葉選びは非常に分かりやすく、理解しやすいものであると感じました。
    自分も禁欲を続けることに悩んだり、禁欲に集中しすぎてすべきことが手につかなかったり、始めた頃はやっぱり色々なことが上手く行かなく感じます。
    「禁欲は自転車に乗ってバランスをとること」
    この文章で少し気持ちが楽になったような気がします。
    必死になって漕ぎ続けるほど、転んだ時の跳ね返りは大きいですし、何事も自分と相談しながら、時にはゆっくり立ち止まってみれるというのも、習慣作りには大切なことなのかもしれません。

    1. >なぎさん
      理解しやすいと言っていただき、ありがとうございます。
      なぎさんの感想をお聞きして、とても安心しました。
      私がこのブログの記事を書くときは本能の赴くまま勢いで書いている時があり、自分でも何を書いているのかわからない時がたまにありますので(笑)

      記事にも同じことを書きましたが、「禁欲は自転車に乗ることと同じ」だと思っています。
      ペダルを漕ぐのをやめたら倒れますし、かといってペダルを漕ぎすぎても逆に疲れて倒れます。
      疲れない程度にゆっくりとペダルを漕いでいるという状態が、ずっと続けることのできている秘訣だと思います。

  3. さおけんさん 
    いつもありがとうございます。僕も以前のさおけんさんのように、別にどうなってもいい、今死んでもそんなに後悔しないと思うことがよくあります。自分には彼女ができない、思い通りの夢はかなわないと無意識的に諦めているんだと思います。
     また、セピア色の世界がカラフルな色のついた世界になったというのは、海外のnofapサイトでもまさしくその表現がよくありました。そのような世界を体験するためにも、毎日小さなことをコツコツと続けていきたいと思います。

    1. >サトシさん
      こちらこそ、いつもコメントを書いていただきありがとうございます。

      個人的な意見ですが、オナ禁を挫折する理由としては「彼女を作ることをオナ禁の最終目標としている」ということが多いと(勝手に)思っています。
      ここは発想の転換をし、
      「彼女を作ることはオナ禁の単なる通過点。もしくは、彼女ができなくたって構わない。」
      と思われてみてはいかがでしょうか。
      このほうがオナ禁が続きやすいかもしれません。

      私の場合はオナ禁で欲しかったものがいつ間にか手に入っていましたが、手に入れた時はあまり感動もありませんでした。
      「ふーん、こんなもんか」という、少し冷めた感情でした。
      やはり、「人生を楽しむ」という過程の中に、彼女ができたり、目標の達成ができたりというものがあるのだと思います。

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