「できない人がいるからこそ、できる人が輝く」の法則

私はオナ禁ブログは読まなくなったものの、筋トレブログなどは複数のブログを読んでいる。

そのとある筋トレブログの中で、

「世の中はぶよぶよのお腹をしたオヤジや、ガリガリのもやし男がとても多い。なんと嘆かわしいことか!」

といった類の投稿を見かけることが、たまに(いや、よく)ある。




いくら下を見ても自分は成長しない

たしかに、筋トレや食事制限などの努力をずっと続けられることは尊いし、すごい事だと思う。

世の中の筋トレブログ管理人の引き締まった上半身を見るたび、その努力のすごさを痛感する。

だがそんな中で、冒頭のような努力を続けることのできない人を見下すような発言をした時点で、自分の価値は相対的に下がってしまうだろう。

”ポッコリお腹オヤジ”や”ガリガリもやし男”の話題を出し、自慢を始めた時点で、

「ああ、この人は他の人にできる自分を認めてほしいだけなんだな・・」

と思うだけである。

そして、そのブログからは足が遠ざかってしまう。

こういう発言は、「下を見ることによって、今の自分を安心させている」だけだろう。

見下し・軽蔑・自慢・・・これらからは何の成長も生まれない。

 

誰に対しても感謝の気持ちが大切

逆だ。

筋トレブログで言われるような”ポッコリお腹オヤジ”や”ガリガリもやし男”など、外見から判断して努力を続けることが苦手に見えるような人には、見下したり軽蔑したりするのではなく、感謝をしなければならないと思う。

なぜならば、

努力を続けることができない人が多数いるからこそ、努力を続けることで自分が差が付き輝くことができるのだから。

そもそも、みんながみんな簡単に努力を続けられるのならば、差は付かないし、いくら努力を続けても自分に価値も生まれない。

繰り返そう。

  • 「できない人がいるからこそ、できる人に価値が生まれる。」
  • 「もしできない人が誰もいなければ、できる自分に価値は生まれない。」

 

オナ禁でいうならば、オナ禁を続けることが難しい人が多いからこそ、このブログにオナ禁に関する何かの答えやヒントを求めてアクセスする。

みんながみんな、オナ禁が楽に、簡単に、苦労もなくできるとすれば、このブログには何の価値もないことだろう。

それに、私も含め、最初はみんな誰しも苦労をしていたはず。

そんな最初の苦労を忘れて他の人を見下す発言をするというのは、過去の苦労していた自分を完全に忘れてしまった、いわば”驕っている”証拠である。

 

~祇園精舎の鐘の声・・・盛者必衰の理・・・驕れる者久しからず・・・~

 

私は、禁欲に苦しむ人に感謝をしたい。

おかげで、私はいつまでも初心を忘れられずにすんでいる。