安易に快楽を享受すると将来に必ず代償を払う

最近のニュースは、著名人(政治家や芸能人など)による不祥事(率直に言えば不倫)の話ばかり。

いずれの著名人も、社会的に認められていて、収入も多く、努力を継続できる(努力をしてきた)人たちばかりなのに。

なぜ努力の継続ができる人たちが、こうも安易に問題事項を起こしてしまうのか?

ここに、”欲望”の恐ろしさを感じる。




努力の継続とは、積み木を積み上げて作る家

努力を続けることは、ドミノ倒しのコマをひたすら並べることに似ている。

もしくは、積み木をコツコツと積み上げて作る家。

もしなんらかの拍子でコマや木を倒したり崩したりしてしまえば、すべて最初からやり直し。

家が崩れてしまう原因は、自然災害でも不運でも何でもなく、自分自身の心の弱さにある。

 

「今までここまで積み上げてきている」

 

ここではこの考えを”積み上げ感”と呼ぶ(これは私がここまで記事を書きながら思いついた造語)。

もしこの積み上げ感を常に意識しているとすれば、それを簡単に崩したいとは思わないはず。

 

だけど、かなりの成功を収めてしばらくした後に欲望に襲われると、この積み上げ感が一気に見えにくくなる。

積み上げ感が、欲望によって目くらましされてしまう。

積み上げ感が目くらましされると、目先の利益(冒頭の例で言えば不倫行為)がものすごく魅力的に見えてくる。

  • 「堅いことは言わずに人間なんだから」
  • 「人生は一度きりだから楽しまなきゃ」
  • 「手を伸ばせば幸せになれる」
  • 「誰だって同じようなことはやっている」
  • 「バレなきゃ大丈夫」
  • 「これは今まで頑張ってきたことのご褒美」

このような、他の誰か、または自分の脳内での甘い言葉に騙されて、欲望にままに快楽に手を伸ばしてしまう。

 

驕りは破滅の入り口

これらの不祥事は、起こるべくして起こっている。

もし大きな成功を収めた後であっても、積み上げ感を忘れずに日々ストイックに過ごしているとすれば、こういった心の声(欲望)には耳を貸さないし目も向けない。

安易に快楽に手を伸ばすという背景には、

「もうここまで積み重ねたのだから、あとは多少の事をしても大丈夫」

といった、ある種の驕りがあるのだろう。

 

この”多少の事”というのが曲者。

ちょっとくらいやったって簡単に崩れたりはしないと考えるのは、大きな間違いである。

どんな依存症も、最初のきっかけは「ちょっとくらい」から始まる。

例が適切ではないかもしれないが、薬物依存症の人がクスリに手を出したきっかけはたいてい共通している。

「”ちょっとくらいなら大丈夫、副作用がやばくなってきたらそこでやめればいい”・・最初はそう思っていた。」

ちょっとくらいの好奇心から始めたが、快楽の虜になり抜け出せなくなってやめられなくなる。

不倫の蜜の味も、クスリの快楽を求める気持ちも、自慰も、根本的には同じ。

 

積み重ねるのには長い年月がかかるが、転がり落ちる時は一瞬。

その一瞬は、驕りを感じた時からやってくる。

そして、安易に快楽を手に入れたことによる代償(ツケ)は、将来いつか必ず払う瞬間がやってくる。

そのツケとは、関係者への釈明、人気の失墜、多額の損害賠償金、失職。。

 

目先の欲望に負けそうになる時、こう思えば我に返られるのではないか。

「これに手を出すと今まで積み重ねてきたものを自分で壊すことになるけど、それでもいいのか?」

 

売れなかった頃・うまくいかなかった頃の初心をいつまでも覚えておくということが、将来ツケを払わないために必要な事なのだろう。

 

おまけ:「偽のスター」と「真のスーパースター」の違い

欲望に負けて不祥事を起こす「偽りのスター」と、「真のスーパースター」との違い。

後者の代表は、野球のイチロー選手・サッカーの本田圭佑選手…

誰もが認めるスーパースターについて、今まで何も大きな不祥事が報じられないというのは、実はものすごいことだと思う。

真のスーパースターは、凡人には到底理解できないほどの強靭な意思力を持っていると感じる。

大成功したら誰だって少しくらい驕りの感情が出てくるとは思うのだが、真のスーパースターはそんな感情を微塵にも見せない。

  • 「驕りは破滅の入口」
  • 「初心忘れるべからず」

こういう考え方が自然とできるからこそ、いつまでもスーパースターでいられるのだろう。

 




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