(日記)危機感を持つことの大切さ ~好景気と不景気の波~

今回の記事は個人的な日記でありやや堅めだが、オナ禁者をはじめ、日々の自己改善を怠らない人にはよくわかる内容だと思う。

「人は見た目が9割」と言われるが、これはその通りだと思う。

自分に対して厳しいか甘いかは、その人の見た目にモロに表れる。

いわゆる”オナ猿的な目”というものは、その典型例だろう。



危機感を持つことの大切さ

私の周りに、お腹が見事に出ていて、いかに仕事をサボるかということしか考えていない人がいる。

その人は仕事に対する集中力がなく、パソコンで業務と無関係なサイトを見たりゲームをしたりしている。

その人は他の人が近づいてくるのを感じると、すぐにPCをエクセル画面に戻し、仕事をしているフリをする。

その光景を見るたび、私はとても滑稽に感じるとともに、その人が哀れにも思う。

「こうなったら終わりだな」とも思う。

外見から判断して、その人に危機感がないことも明らかだ。

 

今(2017年9月)は売り手市場であり、どこも人材(人財)不足なので、たとえ給料泥棒なことをしていても会社を辞められて人手がなくなっては困るといった風潮がある。

そのため、仕事をサボっていることについて周知の事実であっても、誰もそのことを指摘しない。

だが今のこの売り手市場(好景気)というものがいつまで続くかは誰にもわからない。

ただ一つ、確実に言えることがある。

それは、短期間の歴史を振り返ってみても、景気は時代とともに上がったり下がったりを繰り返しているということだ。

ちなみに私が就職活動をしていた頃(今から10年ほど前)は、就職氷河期であり人手過多な買い手市場だった。

つまり企業の内定がなかなか取れなかった、そんな時代だった。

今(2017年)は大卒の内定率が80%超というから驚きである。

 

「愚者は経験から学び、賢人は歴史から学ぶ」

私は、こういう景気が良い時にこそ、仕事に邁進し業務時間外でも自分を磨くチャンスだと思っている。

なぜなら、遊んでいる人を横目にがんばっていれば、他の大多数の人と圧倒的に差がつけられるからだ。

いくら「敵は自分自身」といっても、結局のところ、社会は「他の人と比べてできるかどうか」という相対性の世界。

景気が良い時は、将来に対して楽観的で危機感がない人も多い。

冒頭の人のように平気で仕事をサボっていてもクビにならないのだから、当たり前といえば当たり前。

だが、80年代後半のバブル期と呼ばれる時代も、好景気に浮かれていた人はバブル崩壊後に落ちぶれた一方、日々を着実に過ごしていた人はバブル崩壊によるダメージも少なかった。

もし景気が傾いた時でも全く慌てないのは、日々を着実に過ごし積み重ねてきた人である。

 

「愚者は経験から学び、賢人は歴史から学ぶ」

これはドイツ初代首相のビスマルクの言葉である。

愚者のように楽観的に生きていると、今までの経験で「景気はいつまでもこのまま上向きでいる」と勘違いをしてしまう。

歴史は繰り返すもの。

私には、歴史的に考えて、今の好景気が将来いつ傾くかわからないといった危機感がある。

「いつ傾くかはわからないがいつか必ず傾く時が来る」というのは、この10年間での歴史が証明している。

 

そして世間が「最近景気が悪くなってきたな・・・」と感じてきた時、私は頃合いを見計らって猛ダッシュして大集団から抜け出して独走する。

その具体的な方法の一つとしては、大幅に・・・

・・・これ以上は企業秘密である(これが何だかわかる人には簡単にわかると思う)

 

私には、「最近景気悪いのに、さおけんさんはなんだか景気良さそうですね」と言われている将来の自分が見える。

もし仮にすぐに景気が傾かなかったとしても、自己研鑽により日々積み重ねて損なことは何もない。

いつか必ず訪れるその日まで、ただひたすらに積み重ねるのみである。




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