オナニーフリーになるための考え方と方法論

前回の続きを書こうと思う。

記事で何度か述べているが、オナニーフリーの状態になるためには、「自慰行為自体に対する強い嫌悪感」が必要不可欠である。

手やオナホなどを使って棒を上下に動かす・・・

この猿にも似た行動は、女から見たとしたら、激しく嫌悪感を抱かれることだろう。




快楽を貪る姿は醜く見える

実は、これは、我々男が女の自慰行為を見る時も視点は同じ。

「もし女のオナニーを見ることができたら興奮する!」と思われるかもしれないが、その考え方は完全にAVの見過ぎだ。

キレイな女性ならばまだしも、もしものすごく太っていて脂ぎっている女性が息をハアハア切らしながら自分で自分を慰めている姿を見ても、興奮するだろうか??いや、しないだろう。

 

自慰に限らず、他の欲望にも同じことが言える。

私が見た例で、電車に乗っている時、ものすごく太った女性が電車内にもかかわらずいきなりアイスクリームをほうばりだした。

その姿を見て、私はこう思った。

「醜い・・」

アイスを食べたいと思うのは勝手だが、なぜ電車の外に出るまで食べるのをガマンできないのか。。

他にも、電車のイスに座って頭を上にあげて涎を垂らしながらだらしない顔で爆睡している姿も、この電車内アイスと同じ。

「睡眠欲」という立派な快楽を貪っている。

腕を組みながらうつむいて寝るのならいいのだが、顔を上げて他人に寝顔を見せながら寝るというのは、彼は何日も徹夜したのだろうか・・

最初はその彼を興味本位で見ていたのが、途中から醜く見えてきて私は席を移した。

 

普段から禁欲や節制していればしているほど、快楽を貪っている時の顔や姿というものを見ると、異性に関係なくヒトとして気持ち悪いと感じる。

自慰行為も、電車内アイスも、電車内爆睡も、「私は欲望をガマンできない意思のとても弱い人間です」と公言している。

欲望をガマンできない人が近くにいると、その悪い影響を受けたくないと目を背けたり距離を置いたりしたくなる。

 

「今の自分のしていることは、他人から見られると醜くて情けない」

 

こう気付くことができれば、欲望を貪ることから卒業できていると言える。

 

欲望を満たすことと快楽を貪ることの違い

もちろん、欲望のすべてが悪いわけではない。

たとえば温泉につかることも、心地よいものだしストレス解消されるし、これを醜いと思う人はいない。

温泉に浸かって日頃の疲れを癒すと、欲望が満たされる。

これは良い事だと思う。

たが良い事だからと言って、いつまでもずっと温泉に浸かっているというわけにもいかない。

温泉に行くことが生きてくるのは、普段から戦っている、つまり日々頑張っているからだ。

ただ単に「温泉は体に良いから」と毎日足しげく通ったとしても、戦うことを忘れて怠けグセが付いてしまうだけ。

これは「温泉に浸かることが快楽を貪る」ということになる。

日頃の戦いがあってこそ、戦いの疲れを癒してくれるような温泉が意味のあるものになる。

節制 → 欲望を満たす → また節制

この繰り返し。

 




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