目標を宣言する事の無意味さ

今回はやや辛口な記事となるだろう。

願望を叶える方法論の本には、たいてい、次のように書いてある。

「願いを断定して毎日当然のことのようにしていれば、それがいずれ現実のものなって願いは叶う」

そこで、物事を始める前に次のような”宣言”が飛び出してくる。

 

 





「宣言」がもたらすのは一時的な高揚感

「宣言」とは、たとえば次のようなものだ。

  • 「オナ禁を1年間継続する!」
  • 「東大に受かる!」
  • 「超有名企業から内定取る!」
  • 「政治家になる!」 など・・

このような宣言をした瞬間だけは、気持ちがとても高揚する。

まるで夢が既に叶ったかのような錯覚に陥る。

 

だが、この高揚感は長続きしない。

 

気分が高揚して気持ち良く感じるのは宣言した時の最初の一瞬だけで、その後は夢を叶えるためにただひたすらに単調で辛い努力が続く。

多くの人は、その単調な作業を続けることができず、耐えきれなくなって途中で投げ出してしまう。

 

ここで、「宣言したいと感じる」ということは、こういった度量の単調さの苦しみから目を背けているとも言える。

つまり、「宣言しなければ、単調な作業を続けられそうもない」という自信のなさの裏返しがある。

また、宣言を周りの人に公言したいと感じるとしたら、それは周りから「すごい」と思われたいだけの自己顕示欲の現れもあるかもしれない。

 

 

オナ禁の継続目標を宣言する事の無意味さ

オナ禁だけにフォーカスを当てると、

「オナ禁の継続目標は1年!」

このような宣言は不要などころか、むしろ継続の邪魔になるだけだ。

このような宣言は、オナ禁をしている最中に宣言を破ってしまうことのストレスに襲われる。

さらに、オナ禁に失敗した時に味わう挫折感も大きくなり、二度と復帰できなくなる可能性がある。

(放置されているオナ禁ブログやツイッターアカウントの多さが、このことを物語っている)

大言壮語を吐いた過去の自分から目を背けネットの世界から逃げ出すことは、誰にでも猿にでもできるカンタンなこと。

 

ただし、宣言がもたらす正の側面もある。

ムラムラが辛くなった時、過去の自分の宣言を思い出しもう一度頑張ろうと奮い起こす気持ちが生まれるかもしれない。

そこで、ネットで宣言するのなら、これくらいはしたい。

 

「もし僕がオナ禁1年継続に失敗したら丸刈りにしてその姿をネットにアップします!

 

もしこれくらいの覚悟と勢いがあるのならば、オナ禁1年の継続に成功するかもしれない。

もしその覚悟を持っていないのなら、宣言するべきではない。

宣言することの気持ち良さを求めているヒマがあるのならば、今すぐに、エロ禁対策法なり筋トレなりランニングなり勉強なり、性欲を忘れるような「具体的な努力」を始めるべきだろう。

 

東大の例で言えば、本当に東大に受かるような人は、宣言なんかせずにただひたすらに勉強を続けている。

そして、東大合格という結果で示す。

多くを語らず、無駄な自己顕示欲を捨て、ただ黙々と単調な努力をすることが続けられる人ほど、成功する可能性が高くなる。

最後に成功するのは、宣言せずに「地道に物事を積み重ねる」ことのできる人である。




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