後には何も残らないものに汗を流すことの無意味さ

「自慰はその場の刹那的な快楽をもたらすけれども、その後には何も残らない」

これは、禁欲者ならば共通の認識。

ここでは、自慰よりも、もう少し広い話をしたいと思う。 




 

仮想現実にハマってもヒーローにはなれない

私は子供のころから、TVゲームによくハマっていた。

来る日も来る日も、のめり込むようにドラクエなどのRPG(ロールプレイングロールプレイングゲーム)をしていたものだった。

ドラクエやFFに代表される売れているRPGというものは、ものすごく作りこまれていて、ものすごく面白いと思う。

自分が強くなって、敵を倒し、お姫様や世界を救う・・・

ゲームをすることで、まるで自分が世界のヒーローになったかのような気分を味わえた。

 

しかしとても残念なことに、ゲーム内の自分が世界を救ってゲーム内住人から拍手喝采を浴びたとしても、実際の現実の自分が強くなるわけではない。

ゲームにハマっていた当時、学校内にいた”現実のヒーロー”というのは、スポーツ万能な奴や、学年一の秀才、部活で全国大会に出場したやつら、はたまた、ギターが超絶うまいやつ・・

社会人になってからは、営業成績が抜群な人、語学の堪能な人、仕事が速くて上司からの信頼の厚い人、交友関係が広くて顔のきく人、場を盛り上げるのがうまい人など・・

 

これらは、いくらゲームをやっても身につくことはない。

(一般的なゲームオタクの風貌は、目がうつろでニキビが多くあり太っていて髪伸ばし放題でチェックのシャツをジーパンに入れているような、上記のような現実のヒーローとは程遠い恰好をしているだろう)

 

オナ禁との出会いで仮想現実から抜け出す

私は、20代半ばまで、スポットライトをほとんど浴びることなく生きてきた。

「どうすればヒーローになれるだろうか?」

こう思っていた矢先、オナ禁と出会った。

 

そこから、勉強に運動に資格の取得にと奮闘するようになった。

それと同時に、ゲームからは徐々に遠ざかるようになっていた。

きっと、自然に、「ゲームをいくらやっても現実の自分が強くなることはない、むしろ遠ざかる」と感じるようになったからだろう。

 

オナ禁との出会いを通じて、ゲーム画面の中の自分ではない、「実際の自分をレベルアップさせることの面白さ」に目覚めたのだった。

 

自己投資をし続けていればオナニーフリーになれる

言うまでもないが、自分をレベルアップさせるためには、それなりのお金も時間も手間も意志力もかかる。

ゲームならゲーム機(スマホゲームならスマホ代)、ソフト代、ゲーム内課金、それと時間だけでいい。

だいたい、ゲームをするのにたいした意志力は要らないだろう。ゲームは面白いものだから。

「さあ頑張ってゲームしよう」・・・なんて誰も思わない。

 

一方で、現実の自分をレベルアップさせるためには、ゲーム以上のものがかかる。

特に、繰り返し単調な努力を継続させるだけの、意志力と忍耐力。

なにせ、努力することはゲームと違ってつまらないと感じやすいものだから。

 

だけれども、つまらなくても自分をレベルアップさせていると時々ご褒美もある。

たとえば、TOEICで高得点を取って社内ボーナスが出たり、付けた筋肉を誰かから褒められたり。

そういった努力の結果は、外見にも現れる。

 

さらに、難しい仕事を苦労して成し遂げたときには、達成感も味わえる。

この達成感は、仮想現実にいる自分をいくら強くしても絶対に味わえない。

この達成感の快楽を味わってしまうと、後には何も残らないことに対して汗を流すことから距離を置くようになった。

そして今、気が付けば、オナニーフリーに。

 

まとめ

勉強に運動に資格の取得、、

これらの自己改善は、ゲーム内にいる仮想現実の自分と違い、「いつまでも後に残るもの」である。

TOEIC高得点は履歴書に堂々と書けるし、達成感は内なる成功体験になる。

そしてそれらがすべて総合して、自分への自信につながる。

いわゆる自分レベルアップ的思考を極めていけば、いずれ自然と意図せずしてオナニーフリーになれるのではないだろうか。

 




 

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