“Life is like a marathon, not a sprint.”(人生は短距離走ではなくマラソン)

自分を変えるためには、今までの怠惰な自分を改めて、どこかで本気になる必要がある。

だけど本気になりすぎてしまって、1週間7日間休む暇なく予定をギュウギュウに詰め込み、日々の睡眠時間を削ってまで勉強や仕事。。

もしこんな生活をずっと続けていたら、ある日どこかで倒れてしまう。

100メートルの短距離走を走るような生活を続けていたら、死を早めるだけ。




 

大いなる決意に秘める危険性

「絶対に1年間オナ禁する!何が何でもやりとげてやる!死に物狂いでやる!鬼になる!」

私の経験から言うと、こういう決意はものすごく危険だと思う。

1年間がむしゃらにやること自体は否定しない。

本気になることは大切だ。

だけど1年もの間、全力疾走で走り続け、目標を達成してしまったら、目標を達成した満足感で気が抜けてしまい、その後に連続リセットとなる可能性が高い。

これは、死に物狂いで受験勉強して希望の大学に合格し、大学1年生で遊び惚けてだらしない人間になるのと同じ(これは私のことだ)

人生は大学1年生では終わらない。その後もずっと続くのだ。

 

マラソンを走り続けることに意味がある

オナ禁(禁欲)も、ずっと続けてこそ、意味がある。

もし途中でオナ禁をやめたのにオナ禁を語っているとしたら、それは”若かりし頃オヤジ”と同じ。

若かりし頃オヤジとは、

「昔のオレはすごかったんだぞ。女からモテモテだったんだ。」

こんな”武勇伝”、これがたとえ本当のことであっても、周りのヒトからうざかられることは言うまでもない。

武勇伝を語る本人は、現在の冴えない自分をごまかすため、昔のよかったころの自分に酔っているだけ。

今の自分がモテモテになるには、昔の自分ではなく、今の自分が現在進行形ですごい存在である必要があるのだ。

 

昔、”オナ禁マラソン”という掲示板のスレッドがあったのを覚えているが(今もあるかもしれない)、この”マラソン”という表現は言い得て妙。

人生という長い期間から考えると、1年間というのは短距離だろう。

禁欲は、マラソンのように長い道のりをずっと走り続けることで意味がある。

たった1年でやめてしまってはもったいない。

また、マラソンとオナ禁には明確な違いがある。

マラソンには42.195キロというゴールがあるが、オナ禁にはこういう明確なゴールはない。

つまり、オナ禁は一生続くマラソン。

途中でやめたら意味はない。

どんなことも、一度決めたことは、一生続けるつもりで取り組みたい。

 




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