努力している姿を他人に見せるべきか否か~努力とその成果~

「努力は人に見せるべきものではない」

とはよく言われる。

これはその通りだと思う。

だけど、他に誰かに見られることのない努力の習慣であっても、最終的には、その努力の「成果」については、いつかどこかで誰かに見られることになる。

それは生きている時かもしれないし、もしかしたら死んだ後かもしれない。




 

努力の過程は人に見せるべきものではない

私は、努力をすること自体、他の人に見せるべきものではないと思う。

「今日は何をどれだけ頑張った」

とネットのブログに書いても、それは努力の過程に過ぎず、努力の結果ではない。

たとえ自分の努力の記録をしているためだけに書いているとしても、他の人に記録を見られる以上は、その記録のどこかに「自己顕示欲」が含まれてしまう。

もし間違った方向に行けば、自分を過大評価してしまう可能性だってある。

 

記録よりも大切なことは、次の二つ。

  • 「それを頑張ったことで具体的に何が得られたか」
  • 「そして具体的にどういう成果が得られたのか」

 

残念ながら、この世は結果(成果)がすべて。

どんなに過程を頑張ったとしても、その成果が伴っていなければ、それは無駄な努力だったと社会からみなされてしまう。

たとえば、大学受験の勉強を1日10時間してそれを周りの友達に自慢していたとしても、もし大学に落ちてしまえば、ただの不合格者だ。

「オレは1日10時間も勉強してるから、3時間しか勉強やっていないあいつよりも偉い」とはならない。

もし3時間しかやっていなくても、結果として大学に合格した人のほうが偉いとみなされるのは当然のこと。

完全に手段と目的のはき違えが起きている。

大学受験生にとっては、1日10時間勉強することが目的ではなく、大学に合格することが目的なのだ。

この世は結果がすべての無情な世界なのだ。


(出典:「賭博黙示録カイジ」)

 

 

誰かから見られていないと努力のやる気が出ない?

だからこそ、結果を出すためには、努力の過程において努力していることを他の人に示すこと、つまり自己顕示欲は極力抑える必要がある。

しかし、もしもその努力の成果が誰の目にも触れることなく公にならなかったとしたら、努力をする気もまったく起きないのではないかとも思う。

筋トレを例に挙げれば、家でやるよりもジムに行ってやったほうが、結果として効率的に筋肉がつくというのはこのことだろうか。

これは、ジムに行くと、「他の誰かに見られている気がする、がんばらねば」と思ったり、

また、「あいつあの程度のウエイト回数でやめた~ショボ」なんて他の人から見られていると思うかららしい。

(ジムによく行く私からすれば、筋トレしている時は自分に精いっぱいで他人のことを気にする余裕なんて全くないのだが)

 

私が個人的に思う「カッコイイ人」というのは、

「努力をしていることはわかるけど、その姿を他の誰かに微塵も見せようとしない」人だ。

白鳥が湖の上をスイスイと優雅に泳いでいるように見えて、実は水面下では必死でバタ足をしている・・・といった感じだ。

 

「努力を人に見せなければ努力ができない」

これはおそらく努力とは呼べないし、人がいなければできないとすれば、きっとその努力をすること自体が嫌いなのだろうと思う。

もしその努力が好きならば、将来の自分のためになると思うのならば、人の目なんかなくてもやるからだ。

 

 

努力と英語学習

日本人にとって努力が必要なことの代表格は、英語の学習がそのうちの一つ。

この英語学習についても、努力を他人に見せるか見せないかがきっぱりと分かれるところだ。

 

あなたがもしも、

「社内や周りの友達に自分が英語の勉強をしている姿を見せなければ、英語の勉強ができない」

と、こう思っているとすれば、前述した通りそもそも英語が嫌いなのだろう。

「勉強をやらされているから勉強をする」というのは、苦痛そのものだ。

 

努力を公言したい人の典型的な例がある。

昔に私の職場で自己顕示欲の強い先輩がいてが(もう退職されたが)、その先輩は「オレは英語をやってる」と周りに言いまくっていた。

そんな”英語を勉強している”先輩は、ある時、社内で外国人とのテレカン(テレフォンカンファレンス:「電話会議」)への出席を求められた際、何をしたか?

それは、そのテレカンへの参加を私に押し付けて一目散に逃げたのだった・・・

その時は私は失笑したが、今の私はそんな先輩に恨みは全くない。

下っ端の私に外国人とのテレカンという英語を話す機会を与えてくれたうえ、英語ができれば先輩すら出し抜けるということに気づかせてくれたから、恨みどころか逆に感謝しているくらいだ。

むっつりしながら英語を勉強して、いざその成果を出すときが来たら周りにド派手に成果を示す。

これが叶った時は、脳内に一種の快楽物質がでる。

だから隠れた努力はやめられない。

 

「英語の勉強やってます」なんて他の人に言うのは、逆にカッコ悪いと思う。

私からすれば、こうでも言わないと英語の勉強をするモチベーションが保てないのだろうかと勘ぐってしまう。

自費で留学したり海外出張にもよく行く私が思うには、英語はいくら勉強したところでなかなかうまくならないし、そもそも語学には終わりがない。

だから、英語の勉強について聞かれたら、「あまりやってません」と答えることにしている。

本当はほぼ毎日やってるんだけれど恥ずかしくて言えない。

毎日やっていてその程度の英語力かと思われるのが怖い(そっちか)